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UCCのコーヒーづくり

日本の珈琲の父 後篇 コーヒー業界全体の発展のために

世界初の缶コーヒーの誕生

UCC缶コーヒー第1号 1969年(昭和44年)

ある日、忠雄は駅のホームで飲みかけていたビン入りのコーヒー牛乳をあわてて売店に戻した。電車の出発ベルが鳴り始めたからだった。
「もったいないことをした」という思いとともにあるヒントが頭に浮かんだ。

缶入り飲料にすれば車内にも持ち込めるからむだなことをせずに済む。

そして世界で初めて、缶入りのコーヒーを開発するプロジェクトがスタートした。
製品化までの道のりは苦難の連続だった。夜通し文献を読み漁りながら実験を繰り返し、一つひとつハードルを乗り越えていった。当時普及しつつあった人口甘味料は使わず、砂糖とミルクの配合で風味にこだわった。

そして1969年(昭和44)年4月、ついに世界初の缶コーヒーができあがった。

1970年の大阪万博 会場のお客様やコンパニオンにも缶コーヒーが人気に

しかし、自信を持って送り出した商品は、同業者からは「邪道だ」と無視を決め込まれた。飛躍のきっかけとなったのは1970(昭和45)年に開かれた大阪万博。
会場を巨大な市場に見立て販売に力を入れると、「おいしい」と評判が広がり瞬く間に注文が殺到するにようになった。

いいものは必ず売れる。

その執念は、コーヒーという飲み物を多くの人にとって身近にする大きなきっかけにもなった。

海外農園を開設

切り立った山での過酷な労働条件やハリケーン被害に悩まされながらも農園栽培、そして農園経営のノウハウを確立した。

よりよい豆を安定的に確保するため、早くから世界のコーヒー生産地に自ら出向き、生産国との信頼関係を築いてきた忠雄にとって、ただ一つ長年思い続けながらも果たせぬ夢があった。それは、海外農園の開設、しかも最高級のコーヒー豆、ブルーマウンテンを産するジャマイカの地で、というものだった。

希少価値のブルーマウンテンを日本に安定的に供給したい。そして自らの手で栽培まで手がけることによって送り出す商品に目を行き届かせたい。

それはコーヒー事業に身を捧げてきた男の本懐であった。1981(昭和56)年10月、ついに念願の直営農園をジャマイカに開設した。

一杯でも多くのコーヒーを一人でも多くの人に届けたい。

その思いが、

  • 日本の喫茶文化を創造し、日常のコーヒーの“楽しみ”を生み出し、
  • 缶コーヒーの開発で、いつでもどこでも“楽しめる”コーヒーの習慣を創造し、
  • 直営農園事業によってコーヒーのトレーサビリティを確立し、

お客様へ“安心と安全”の信頼を実現しました。

コーヒーへの“夢とロマン”は、世界中でも独特な日本のコーヒーの文化を創造し続けています。

創業時の初志をただひたすらに実直に追求してきた忠雄。
故郷・奈良に建つ珈琲賛歌記念碑にはこんな一文が刻まれている。

人生をただただ珈琲にささげて社会に貢献しえたことは
至福にして些の悔もなし。

タイトルの『日本のコーヒーの父』とは
1988年、上島忠雄は数々の功績により、国際コーヒー機構(ICO)から記念碑の贈呈を受けました。
その中で『日本のコーヒーの父』との称号を贈られたことに基づいています。

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