#1

持ち続けた「書く」へのこだわりが、仕事の領域を無限に広げてくれたライター・夏生さえりのキャリア論

Saeri Natsuo Writer

ライター/夏生さえり

インスタントコーヒーの枠を超えて本格的な味わいを目指したUCC ザ・ブレンドが提供する「THE BLEND MAGAZINE」。ここでは、自分の枠を越える価値を創造し続けている人の言葉を紹介。新たな可能性を切り拓く、独自のスタイルやこだわりに迫ります。

今回登場いただく夏生さえりさんは、シナリオ執筆やエッセイ、広告コピーの制作など、さまざまな“書く”仕事を手がけているライターです。大好きな「書くこと」を軸にしたまま、どのように仕事の領域を拡張してきたのか。「やりたいこと」と「できること」のバランスを、どう取ってきたのか。夏生さんのキャリア論を伺いました。

ライター / 夏生さえり

映画・映像作品の企画や脚本、エッセイ、コピーライティングなど、「書く」を軸にさまざまなジャンルで活動するライター。2022年公開の映画「MONDAYS/このタイムループ上司に気づかせないと終わらない」では企画・脚本を担当。著書に「口説き文句は決めている」(クラーケン)、「揺れる心の真ん中で」(幻冬舎単行本)などがある。

自分にこんなことができるなんて、想像もしていなかった

夏生さんが世に知られるきっかけとなったのは、2015年頃から始めた「恋愛妄想ツイート」と、前職の自社ブログで書かれていた「聞いてみたシリーズ」の記事でした。そこからエッセイや取材記事を書かれるようになり、書籍の出版も経て、いまはどんなお仕事をされていますか?
夏生さえり(以下、夏生):近ごろメインになっているのは、映画や映像のシナリオ執筆です。いままでどおりのエッセイやコラム、コピー制作なども手がけているけれど、じつはお仕事の8割ほどは物語の構成。いまも3本の映画脚本に携わっています。
シナリオのお仕事がそんなに多いんですね。とくに映画の脚本は、作業スパンも長くて大変そうです。
夏生:執筆に入る前の企画段階で一年ほどかかるようなこともありますね。書きはじめると、ボリュームも大きいです。だいたい400文字の脚本を映像にすると1分だから、90分の映画なら最低でも36,000文字……。
たった140文字のツイートをきっかけに、こんなにもキャリアが拡張できるなんて、想像していましたか?
夏生:いえ、まったく! ライターになって書く仕事ができるとも、ゼロから物語をつくる仕事ができるとも思っていませんでした。「こんな仕事ができるようになるなんて思わなかった」を積み重ねて、いまここにいます。
ブレイクのきっかけとなった“恋愛妄想ツイート“
いま振り返って、キャリアの分岐点になったと感じる出来事はありますか?
夏生:ふたつあります。ひとつは、Web制作会社で働いていたとき、自社ブログでの記事作成がきっかけで社外から執筆のお仕事をいただいたことです。恋愛妄想ツイートの拡散もあいまって、少しずつ外からのお声がけが増え、ライターとして独立する後押しになりました。
もうひとつは、フリーランスになって4年後、はじめて20分ほどのショートフィルムの脚本を担当したことでした。いまはフリーランスを続けつつ、さまざまなエンターテイメントコンテンツを手がけるCHOCOLATE Inc.という会社にも所属しているのですが、そこでのお仕事です。誘ってもらったときは、やったこともないし、できるか不安だったけれど、楽しそうだったからとにかく飛び込みました。その作品を呼び水に、物語をつくるシナリオの仕事が一気に増えていったんです。

目の前のことだけ考えて、一歩ずつ進めば大丈夫

自分の想像を超えるようなキャリアを切り拓くには、どうすればいいのでしょう。働き方の軸にしていることはありますか?
夏生:いまやれることを、楽しみながら頑張ることです。じつは私「将来こうなりたい」「こういう人になりたい」というイメージを全然持っていなくて……。目標を掲げて着実に進んでいく人ってかっこいいから、そうなりたくて悩んだ時期もあったんです。でも、前職の上司が「なりたいものがなくても、目の前のことを一生懸命頑張るだけでいいんじゃないの?」と言ってくれて、気が楽になりました。
そうなると、自分が楽しみながら頑張れることを探せるかがポイントになってきますね。お仕事はどのように選んでいますか?
夏生:オファーをいただいたときに「面白そう」「楽しそう」と思えるかは、大きな判断基準ですね。金銭的な条件がいいとか、少ない労力でやれるとかより、面白そうな内容であることを重視しています。それから、自分では思いもよらないようなお誘いをいただいて、はじめてのチャレンジができるのも楽しいです。
経験のないことにも手を挙げて、果敢に挑戦できるのがすごいなと思います。

夏生:もちろん「納品できなかったらどうしよう」「頼まなきゃよかったって思われたら……」って不安になることはたくさんあります(笑)。そういうときは「できるかどうか」じゃなくて「やりたいかどうか」で判断するのが大切。
できる・できないで考えると、不安で萎縮してしまいます。でも、やりたいことをやっていたら周りが助けてくれたり、最初は途方もなく思えたことがちゃんと出来上がったりしたことは、これまでの仕事人生で何度も経験してきました。だから、まずはやりたい気持ちを尊重してみるんです。やりたい!と思う熱意があれば、だいたいの困難は乗り越えられてしまうものだと思います。

これまでの自分と周りへの信頼があるから、一歩を踏み出せるのかもしれないですね。

夏生:とにかく一歩を踏み出すこと、なんですよね。あとは、そのちいさな一歩を積み重ねること。ミヒャエル・エンデの小説『モモ』に出てくる掃除夫のベッポが、こんなことを言うんです。とっても長い道路を受け持ったとき、これから掃く道すべてのことを一度に考えちゃいけない。次のひと掃き、次のひと呼吸のことだけを考えてやっていくと、楽しくなってくる。そして、気がついたときには一歩いっぽ進んできた道路がぜんぶ掃き終わっているんだ……って。
私も初めての仕事を目の前にすると「こんなの、できる気がしない」と感じてしまう日はあります。だけど、そういうときは心にベッポ。目の前のひと掃きのことだけ考えて、いまできることを一歩ずつ重ねれば、必ず完成する日が来るんだって思うようにしています。

安心できる仕事とわくわく挑戦できる仕事、
両方をバランスよく持っておきたい

ある程度の実績を積み重ねたら、「できること」をメインに手堅く働くという選択肢もあると思います。でも、夏生さんは積極的に新しいチャレンジをしていますね。
夏生:フリーランスとして安全な道をとるなら、間違いなく納品できるものだけを受けたくなっちゃいますよね。実際、そうしていた時期もありました。でも、やれることだけこなすような働き方だと、だんだん楽しいと思えなくなってきて……自分で自分の範囲を決めちゃうと、仕事の幅がどんどん小さくなっていくような気がしたんです。だから、周りが「さえりさんやってみる?」と言ってくれる機会に乗っかって、自分がやれることを広げていこうと考えるようになりました。
できることとやりたいことのバランスは、どのように取っていますか?
夏生:安心してやれる仕事と、わくわく挑戦できる仕事は、つねに両方持っておきたいと思っています。挑戦するのは楽しいけれど、自分を奮い立たせる場面ばかりだと疲れちゃう。刺激的すぎる生活は好まないので、自分が不安定にならないように、ほどよくどちらにも取り組んでいたいですね。
ほどよく挑戦できる仕事を持つ、って理想的ですね。でも、その塩梅が難しい……。
夏生:いつも同じチームでしていた仕事を別のチームで取り組んでみるとか、映画の脚本のやり方を広告ムービーにも活かしてみるとか、ちょっとだけ新しいことを取り入れるようにしています。軸足を変えずに一歩ずつずらしていくと、ほどよい広がりが生まれていくような気がするんです。

どこまでいっても「書く仕事の人」でいたいから

いっそ「書くこと」から離れてみたら、もっといろんな領域の仕事に出会えるようにも思います。でも、夏生さんが「書くこと」を軸足にしているのは、どうしてですか?
夏生:私、人生において好きなことや続けていることがあんまりないんです。でも、書くことだけは一過性のブームじゃなくて、自分のなかで当たり前に根付いている。なにも書かない時期が一週間も続くとそわそわしちゃうし、仕事で文章を書いているのに、休みの日にも文章を書いたりするんです。だから、やっぱり「書く」はとても大切な軸なんですよね。でも、独立したばかりのときは、自分は本当にライターなのかと悩みました。
自分は本当にライターなのか、というと?

夏生:当時はWebライターという職種自体もいろんな形が芽生えてきたところで、「あんな記事を書く人はライターなんかじゃない。インフルエンサーだ」と、ライターとしてキャリアの長い方から揶揄されることもすごく多かったんです。恋愛妄想ツイートがバズったことでインフルエンサーに近しい部分があったため、ライターとしてではなく、広告や動画に出演するだけのご依頼もたくさんいただきました。
周りからは「需要があるなら、話す仕事や出る仕事もやってみればいいじゃん」と言われて、それも一理あると思ったんですが……「書くこと」を自分の仕事にしていきたいし、周りにも「書く仕事の人だ」って認識されたいという気持ちがありました。いろんな仕事をお受けして、自分でも「何をしているのかわからない人」になるのが怖かったんです。それで、せめて「書く」を軸に据えてみようと思いました。周りからは依然「ライターだ」と思われない機会も多かったですが……。

世間のイメージと自分の目指す姿が一致しない……苦しそうです。

夏生:特に、恋愛系の記事の依頼が増え続けたときは悩みましたね……。依頼は本当にありがたいことだし、恋愛記事を書くのは得意ではあるんだけど、一生それを続けていくイメージがどうしてもわかなかったんです。基本的に目の前の仕事だけ見て進んできたタイプだけれど、その時期ばかりは、ここから方向転換するにはどうしたらいいかを中長期的に考えていました。
太く短く働いて辞めてもいいなら、目先の需要に応じて、いただくご依頼だけを打ち返していけばよかったと思います。でも、私は仕事が好きだから、自分がちゃんと楽しいと思えるかたちで長く働き続けていきたかった。そのためには、自分の方向性を少しずつ変えていかなくちゃいけないと感じていたんです。

いまの夏生さんは、恋愛を主題としないシナリオ執筆の仕事がほとんど。見事に方針転換を果たしていますね。
夏生:転機は、4年前にCHOCOLATE Inc.に所属したことでした。入社時の面談で「恋愛系の仕事はしなくてもいいですか?」と相談したら、上司に「やりたいと思えることだけをやりましょう! 恋愛要素なんてなくていいです!」とあっさり言ってもらえたんです。別ジャンルのいろんな案件に参加するうち、恋愛系の仕事をやる余裕がなくなって、自然と新しいフェーズに進むことができました。

地道に取り組んでいれば、周りが「私らしさ」を見つけてくれる

自分にしかできない仕事をするために心がけていること、ありますか?
夏生:自分にしかできないことって、よくわからないんですよね。私が書く仕事を始めたのは、世の中にWebライターがどっと増えた時期だったから、当時からよく「自分の武器ってなんだろう?」とは考えていました。専門性がないからこそ共感を呼ぶ記事が書けるとか、炎上させなくてもたくさんの人に届く記事をつくるとか、それっぽいこともいろいろ打ち出してきたけれど……実際のところはまだよくわかっていません。でも、自分がやれることを毎回全力でやっていったときに、周りのほうが私らしさを決めてくれるんじゃないかなって思っています。
自分の長所は自分には見えない、とも言いますもんね。
夏生:名前や顔を出さなかったり、自分のことを書くエッセイなどではなかったりする仕事でも、私らしさってあるみたいなんですよね。たとえば映画の脚本は、私の内側を表現したものではありません。それでも「あのセリフにさえりさんを感じた」「視点がさえりさんっぽい」といった感想をいただくことがある。必死にアピールしなくても、ちゃんと滲み出るものなんですね。ひと掃きひと掃きの仕事を積み重ねていくと、こんなご褒美がもらえるんだなぁとうれしく思っています。
これからは、どんな仕事に取り組んでいきたいですか?
夏生:絵本やアニメの脚本など、子ども向けのコンテンツに携わりたいと思っています。それに、いろんな商品にストーリーをつけていくようなお仕事も楽しいです。生きていくなかでの出会いや経験が「書く」につながることで、私なりの新しい文章をどんどん生み出していく感覚があります。だから、いまは想像していないジャンルのお仕事とも、この先出会えるのかもしれません。とにかく、楽しい仕事を死ぬまでずっと積み重ねていきたいですね。

UCCは「より良い世界のために、コーヒーの力を解き放つ。」をパーパスに掲げ、コーヒーの新たな可能性を追求し、今までにないコーヒーの価値創造にチャレンジしています。
夏生さんにとってコーヒーとはどのような存在ですか?

コーヒー好きな夫の影響を受けて、家でもよく飲んでいます。いつも夫が淹れてくれるのですが、子どもが生まれてからは、手軽に飲めるインスタントにシフトしました。忙しくて余裕がないときって、温かいものを飲むという選択肢が自分のなかからは出てこなくなったりしますよね。そんなときに、夫がさりげなく差し出してくれるコーヒーを飲むと、ほっとひと息がつける。こういう時間を持つことが大事だったなって、思い出せるんです。
だから、私にとってのコーヒーは、夫が淹れてくれる“やさしい行為”と結びついているもの。湯気のむこうに、日常のさまざまなやさしい場面が思い浮かびます。
Photo : Teppei Daido
Text : Sakura Sugawara