ジャマイカにコーヒーが伝えられたのは1728年。当時のジャマイカ総督ニコラス卿が、フランス領のマルティニーク島から持ち込み、キングストンの丘陵地帯に植えたのがはじまりでした。その後、当時ジャマイカを統治していたイギリス政府によるプランテーション(=熱帯・亜熱帯地域で近世の植民制度に始まった単一作物の大規模農業)が行われると、ジャマイカの気候や土壌がコーヒー栽培に適していたこともあり、急速にコーヒー産業が広がっていきました。
しかし、傾斜地が多いため多雨によって土壌の流出が起こったり、また奴隷制度の廃止で労働力が不足したりと、様々な問題が発生。生産意欲を失った農園主の農園放棄、バナナなどへ作物転換などへつながり、1930年代までに、ジャマイカのコーヒー生産量は減少・品質低下の一途をたどっていったのです。やがて、ジャマイカのコーヒーの一番の買い手であったカナダが品質低下を理由に輸入を中止したのを契機に、1948年、コーヒー産業公社(Coffee Industry Board 以下"CIB"と記す)が設立され、コーヒー産業の復興に努めました。
その後、2018年1月に、ジャマイカ工・商・農・水産省(MICAF)は農産物事業の円滑な運営に向けジャマイカ農産品規制公社(Jamaica Agricultural Commodity Regulatory Authority: JACRA)を立ち上げ、CIBは、ココアやスパイス類などの他の農産物とともに、JACRAに統合されました。
農園開設当初は、ブルーマウンテンエリア内の約33ヘクタール(東京ドームの面積の約7倍)の総面積に35,000本のコーヒーの木を栽培していましたが、2006年には隣接する約9ヘクタールの農園を取得、その後2008年に約59ヘクタールの新たな農園を開発し、ブルーマウンテンエリア内の直営農園の総面積は、約100ヘクタールとなり、13万本を超えるコーヒーの木が植えられるまでに拡張しました。
農園のシンボル的存在になっているのはジャマイカで最も由緒ある「クレイトンハウス」。ジャマイカ総督となったイギリスのクレイトン卿が1805年に別邸として建てた豪邸で、農園の事務所として購入したのと同じ頃、ローリング・ストーンズのミック・ジャガー氏も買い取ろうと交渉していたと聞きます。
マホガニー調の床、壁に飾られた数々のエッチングなどが歴史の重みを感じさせるこの建物は、ジャマイカに現存するグレートハウスの一つとして、国の重要文化財の指定を受けています。様々な熱帯植物が育つ広い庭園は植物園さながらの美しさで訪れる人の感嘆を誘っています。
UCCブルーマウンテンコーヒー・クレイトンエステートのサステナブルな取り組みについては「UCCのサステナビリティ」で詳しくご紹介しています。