ジャマイカにコーヒーが伝えられたのは1728年。当時のジャマイカ総督ニコラス卿が、フランス領のマルティニーク島から持ち込み、キングストンの丘陵地帯に植えたのがはじまりでした。その後、当時ジャマイカを統治していたイギリス政府によるプランテーション(=熱帯・亜熱帯地域で近世の植民制度に始まった単一作物の大規模農業)が行われると、ジャマイカの気候や土壌がコーヒー栽培に適していたこともあり、急速にコーヒー産業が広がっていきました。
しかし、傾斜地が多いため多雨によって土壌の流出が起こったり、また奴隷制度の廃止で労働力が不足したりと、様々な問題が発生。生産意欲を失った農園主の農園放棄、バナナなどへ作物転換などへつながり、1930年代までに、ジャマイカのコーヒー生産量は減少・品質低下の一途をたどっていったのです。やがて、ジャマイカのコーヒーの一番の買い手であったカナダが品質低下を理由に輸入を中止したのを契機に、1948年、コーヒー産業公社(Coffee Industry Board 以下"CIB"と記す)が設立され、コーヒー産業の復興に努めました。
その後、2018年1月に、ジャマイカ工・商・農・水産省(MICAF)は農産物事業の円滑な運営に向けジャマイカ農産品規制公社(Jamaica Agricultural Commodity Regulatory Authority: JACRA)を立ち上げ、CIBは、ココアやスパイス類などの他の農産物とともに、JACRAに統合されました。
ジャマイカはカリブ海の小さな島国です。"ジャマイカ"とは先住民・アラワク族の言葉「ザイマカ(森と泉の国)」に由来していますが、いまなお豊かな自然に溢れた国です。公用語は英語です。面積は約11,000平方キロメートルと、日本の秋田県くらいで総人口は約289万人。基幹産業はコーヒーやサトウキビに代表される農業、そして鉱業、観光業です。
気候は年間を通じて20℃以上あり、夏には30℃を越える日が続きますが、山岳地帯が多いため地域によって気候が異なり、ブルーマウンテン山脈などの高地は夜になるとかなり冷え込みます。1〜3月は乾期、5月と10月には比較的雨量が多くなり、8〜11月の間にはハリケーンによって大きな被害を受ける事もあります。
優雅な香り、調和の取れた甘味のある味わいから“コーヒーの王様”と称される「ブルーマウンテンコーヒー」。しかしその名で呼べるのは、JACRAの定めた、ジャマイカ東側に連なるブルーマウンテン山脈(2,256m)の内側にあたる“ブルーマウンテンエリア”で栽培されたコーヒーのみ。このエリア以外で生産されたコーヒーは“ノン・ブルーマウンテン”と呼ばれます。
ブルーマウンテンエリアのほとんどは険しい斜面の山岳地帯。弱酸性の土壌、豊富な雨量、さらに山脈を“ブルーマウンテン”と言わしめる霧が頻繁に発生して、コーヒーの木だけでなく土壌にも適度な水分を補給します。また1日の寒暖差は平均8℃以上にもなるため、豆が膨らんだり縮んだりの運動を繰り返すことで引き締まりコクが生まれます。まさに、コーヒーの栽培には最高の条件が備わった環境なのです。
ジャマイカのコーヒーの格付け基準はとても厳しく、ブルーマウンテンコーヒーの中でも、最も品質の良い等級が「ブルーマウンテンNo.1」となり、以下「No.2」「No.3」と続きます。それらに「ピーベリー」を加えた等級までのコーヒーが、プレミアム品としてジャマイカコーヒーのシンボルとも言える木製の樽に詰められて輸出されます。
1981年、標高800〜900mに位置するブルーマウンテンエリアの西側に『UCCブルーマウンテンコーヒー・クレイトンエステート』を開設し、直営農園経営をスタートさせました。
きっかけになったのは、1981年、アメリカ・ジャマイカの両政府から日本の農水省に入った栽培技術援助の要請です。それが前年に発足したばかりの全日本コーヒー協会に届き、初代会長を務めていたUCCの創始者・上島忠雄の「ジャマイカに農園を持ちたい」という長年の夢と合致したことでした。
ジャマイカ東部の山岳地帯でしか生産されないブルーマウンテンコーヒーは、素晴らしい味わいながら生産量は少なく、当時その殆どが日本へ輸出されてはいたものの、日本全体のコーヒー消費量の1%にも満たなかったのです。上島忠雄は、この絶対量の少ない最高品質のコーヒーを日本に安定供給するために、ブルーマウンテンの農園経営に乗り出しました。もちろん、日本のコーヒー業界では初めてのことでした。
そして事業をスタートしたものの、ジャマイカの険しい自然と闘いながらの農園経営は容易ではありませんでした。現地に派遣された社員も自然発火の山火事、旱魃、ハリケーン、猛暑・・・厳しい現実にいくたびも直面しました。また、すべて手作業で行う農園経営だけに、現地労働者たちとのコミュニケーションにも悩まされました。しかし、労働条件の改善・働きやすい環境整備などを経て、ようやく社員と労働者が一体となった作業が始まったのです。
ブルーマウンテンエリアは、コーヒーの適地であっても管理する人間にとっては厳しい環境です。標高800〜900mの山岳地帯のため、傾斜40度になる場所も。コーヒー栽培はすべて人の手によって行われますが足を滑らす程の急斜面で行う作業は大変な重労働です。
生産地では、実から種子を取り出し生豆(なままめ)と呼ばれる状態にまで加工(=精製)します。ジャマイカでは、通常、水洗式(ウォッシュド)と言い、収穫したコーヒーチェリーを水槽の中に浸し、良く熟して沈む実と、浮いてくる未熟な実に選別する方法で精製します。柔らかくなった果肉を除去した“パーチメントコーヒー”の状態で乾燥させて保存、輸出する際に脱穀機でパーチメントの固い殻を取り除くことで生豆になります。
「UCCブルーマウンテンコーヒー・クレイトンエステート」で収穫されたコーヒーチェリーは、浮いた実を除いたのち、ブルーマウンテンコーヒーの精製工場に出荷されます。精製工場では、他の農園のコーヒーとは別に精製してもらっているため、純粋なUCC直営農園産の生豆に仕上がります。
精製工場では、品質ごとに等級に分けられ、ティスティングで品質を確かめたのち、JACRAへ豆のサンプルが送られます。JACRAの厳しい品質チェックを通過した「ブルーマウンテンNo.1」「No.2」「No.3」といったコーヒーだけが、精製工場からUCCブルーマウンテンコーヒー直営農園のマーク入りの木製の樽に詰められて出荷されるのです。
農園開設当初は、ブルーマウンテンエリア内の約33ヘクタール(東京ドームの面積の約7倍)の総面積に35,000本のコーヒーの木を栽培していましたが、2006年には隣接する約9ヘクタールの農園を取得、その後2008年に約59ヘクタールの新たな農園を開発し、ブルーマウンテンエリア内の直営農園の総面積は、約100ヘクタールとなり、13万本を超えるコーヒーの木が植えられるまでに拡張しました。
農園のシンボル的存在になっているのはジャマイカで最も由緒ある「クレイトンハウス」。ジャマイカ総督となったイギリスのクレイトン卿が1805年に別邸として建てた豪邸で、農園の事務所として購入したのと同じ頃、ローリング・ストーンズのミック・ジャガー氏も買い取ろうと交渉していたと聞きます。
マホガニー調の床、壁に飾られた数々のエッチングなどが歴史の重みを感じさせるこの建物は、ジャマイカに現存するグレートハウスの一つとして、国の重要文化財の指定を受けています。様々な熱帯植物が育つ広い庭園は植物園さながらの美しさで訪れる人の感嘆を誘っています。
UCCブルーマウンテンコーヒー・クレイトンエステートのサステナブルな取り組みについては「UCCのサステナビリティ」で詳しくご紹介しています。