コーヒーの伝播コーヒーの伝播propagation 伝播propagation 伝播

「コーヒー栽培」はどのように
世界に広まったのでしょうか?

野生のコーヒーが人と出会い、
界中で
栽培されるまでの軌跡を
追っていきましょう。

1.コーヒー
「2つの発見伝説」1. コーヒー「2つの発見伝説」1. コーヒー「2つの発見伝説」

そもそもコーヒーは誰がどこで発見したのでしょうか?そして、どんなストーリーがあるのでしょうか?コーヒーが最初に発見されたと言われる伝説を2つご紹介します。

Legend 01

ヤギ飼いカルディの伝説

ひとつは、「コーヒーの実を山羊が食べて興奮しているのを見つけた山羊飼いが自分も食べてみたら精気がみなぎってくるのを感じ、近くの修道僧たちにすすめたところ、彼らは長年悩んでいた儀式中の睡魔から救われた」というものです。

Legend 01
Legend 02

Legend 02

イスラム教徒シーク・オマールの伝説

もうひとつは、「無実の罪で追放された回教徒が、小鳥がついばんでいる実を見つけ食べてみたところ、やはり活力が沸くのを感じ、やがてはその煮出し汁で病人を救った功績により罪を解かれた」というもの。

前者のヤギ飼い・カルディの伝説は「キリスト教」、後者のシーク・オマールの伝説は「イスラム教」をそれぞれ背景に持つと言われ、コーヒー2大発見伝説として知られています。
あくまで伝説なので、その真偽は定かではありませが、これらの伝説が興味深いのは、コーヒーの飲用効果に触れられていることです。
科学の発達した現代では常識とされているコーヒーの薬理効果を、当時の人々はすでに知っていたということですね。

2.コーヒーが世界中に
広まったルートは?2. コーヒーが世界中に広まったルートは?2. コーヒーが世界中に広まったルートは?

コーヒーはエチオピアで発見されて以来、食用・薬用などに用いられ、特にイスラム寺院では厳しい管理下に置かれ、持ち出しを固く禁じられた貴重品でした。そして長い年月をかけて世界に伝播し、栽培地が広がっていきました。

もともとコーヒーの原産国であるアフリカから、どのようにコーヒーの栽培が広がっていったのか、世界でもっとも栽培されている「アラビカ種」が伝播したルートを地図とスライドショーで見ていきましょう。

Spread of Coffeeコーヒー栽培(アラビカ種)が
世界中に広がった軌跡

  • Spread of Coffee コーヒー栽培(アラビカ種)が世界中に広がった軌跡Spread of Coffee コーヒー栽培(アラビカ種)が世界中に広がった軌跡
  • Spread of Coffee コーヒー栽培(アラビカ種)が世界中に広がった軌跡Spread of Coffee コーヒー栽培(アラビカ種)が世界中に広がった軌跡
  • Spread of Coffee コーヒー栽培(アラビカ種)が世界中に広がった軌跡Spread of Coffee コーヒー栽培(アラビカ種)が世界中に広がった軌跡
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  • Spread of Coffee コーヒー栽培(アラビカ種)が世界中に広がった軌跡Spread of Coffee コーヒー栽培(アラビカ種)が世界中に広がった軌跡
  • Spread of Coffee コーヒー栽培(アラビカ種)が世界中に広がった軌跡Spread of Coffee コーヒー栽培(アラビカ種)が世界中に広がった軌跡
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  • 1エチオピアでコーヒー発見

    コーヒー発祥の地、
    アビシニア(現在のエチオピア)で
    発見されました。

    めくって見てみよう
  • 2アラビアに伝わる

    6~9世紀頃、アラビアに伝播。
    はじめて栽培されたのはアラビアとされており、
    それにちなんでアラビアが「アラビカ種」という
    名前の起源になったとも言われています。

  • 3スリランカで栽培が始まる

    1658年、コーヒー栽培に興味を持った
    オランダ人によって、当時の植民地だった
    セイロン(現・スリランカ)で
    も栽培を試みられるようになります。

  • 4インドでもコーヒー栽培が始まる

    1695年、インド人の巡礼者
    ババ・ブーダンが
    コーヒーの持ち出しに成功、
    インドの山中で栽培がはじまりました。

    COLUMN

    ババ・ブータンがコーヒーを
    メッカからインドへ持ち帰る

    1695年、イエメン地方のイスラム教寺院で栽培されていたコーヒーは、国外への持ち出しが厳しく禁止され、厳重な監視のもとにおかれていました。このコーヒーの持ち出しに成功したのが、ババ・ブータンというイスラム教徒のインド人でした。次のページへ続く→彼は聖地メッカへ巡礼にやってきた時、コーヒーをインドへと持ち帰りました。いわば盗み去ったのです。その後、南インドのマイソール海岸で栽培に成功。この木が原木となり、南インド一体はコーヒーの生産地として今に至っています。

    COLUMN

    彼は聖地メッカへ巡礼にやってきた時、コーヒーをインドへと持ち帰りました。いわば盗み去ったのです。その後、南インドのマイソール海岸で栽培に成功。この木が原木となり、南インド一体はコーヒーの生産地として今に至っています。

  • 5インドからジャワ島へ運ばれる

    1699年、
    インドからインドネシアの
    ジャワ島へコーヒーの
    挿し木が運ばれ、栽培に成功。

    COLUMN

    オランダ領インド諸島のすべての
    アラビカ種コーヒーノキの先祖に

    1699年、オランダ領東インド諸島(インドネシア)のジャワ島に、ヘンリックス・ツヴァールデクローンによって2回目のコーヒーの苗木が運ばれました。1696年に運ばれた最初の苗木は、その後の地震と洪水によって壊滅してしまったからです。次のページへ続く→インド南部のマラバルから海路運ばれた苗木は、まもなくジャワ各地の農園で無事育ち、オランダ領東インド諸島のすべてのアラビカ種コーヒーノキの先祖となったのです。

    COLUMN

    インド南部のマラバルから海路運ばれた苗木は、まもなくジャワ各地の農園で無事育ち、オランダ領東インド諸島のすべてのアラビカ種コーヒーノキの先祖となったのです。

  • 6ジャワ島からオランダの植物園へ

    1706年,、
    インドネシア・ジャワ島から、
    オランダのアムステルダム植物園へ
    コーヒーの苗木の移植に成功。

    COLUMN

    ジャワ島産コーヒーの
    初荷をオランダ本国へ

    1706年バタビア(現ジャカルタ)周辺で栽培されたコーヒーの最初の積み荷が、苗木1本とともにアムステルダムのオランダ東インド会社に出荷されました。コーヒー豆の積み荷自体の量は多くはなかったのですが、コーヒーの木は植物園で栽培され、繁殖にも成功しました。そして後年、このコーヒーの木が西インド諸島と中南米に伝播することになるのです。

  • 7オランダから
    ルイ14世に寄贈される

    1714年、
    オランダ・アムステルダム植物園の
    コーヒーの苗木が、当時のオランダ市長から、
    フランスのルイ14世に贈られました。

  • 8フランスで栽培がスタート

    1722年、
    フランス領ギアナで栽培を開始。

  • 9苦難の旅を経て西インド諸島へ!

    1723年、
    仏海軍士官ガブリエル・ド・クリューによって、
    フランスから西インド諸島のマルチニーク島(フランス領)へ運ばれます。
    運ばれる過程には、壮絶な物語がありました。

    COLUMN

    苦難の末に持ち込まれた
    1本のコーヒーの木

    フランス領・西インド諸島のマルチニーク島に駐在していたフランス海軍のド・クリューは、フランスから駐在地に戻るにあたり、コーヒーの苗木を持ち込みたいと思い、苦労して数本の苗木をようやく手に入れました。しかし、大切な苗木を抱えて乗り込んだ船の行く手には、さまざまな困難が待ち受けていたのです。苗木を奪おうとする乗客、海賊の襲撃、ハリケーン・・・。次のページへ続く→

    COLUMN

    そんな中でも、もっとも苦労したのは苗木に与える水が底をついたこと。彼は2ヶ月にも渡る航海の中で、1ヶ月以上も自分の飲み水を制限して苗木と分かちあい、困難を乗り切りました。そんな彼の献身的なコーヒーへの想いは、マルチニーク島に根を張ったコーヒーの木という形で実ったのです。

    COLUMN
  • 10現在のコーヒー大国・
    ブラジルに伝播

    1727年、ポルトガル海軍士官フランシスコ・パルヘッタによって、
    フランス領ギアナからブラジル(パラナ州)へ苗木を持ち出すことに成功。
    今や生産量世界一のコーヒー大国となったブラジルですが、
    このブラジルにコーヒーの苗木が持ち込まれるエピソードは、
    とある男女の恋物語として語られています。

    COLUMN

    恋物語とともに
    ブラジルに渡ったコーヒー

    フランス領ギアナに派遣されていたパルヘッタは、軍事的な任務のほかにもうひとつ使命がありました。それは、ギアナからコーヒーの苗木を持ち出すこと。
    しかし、ギアナでも当然のごとくコーヒーの国外流出を防ぐための厳しい策が講じられていたので、なかなか思うように事を運べませんでした。次のページへ続く→

    COLUMN

    そこで彼は恋を育みつつあったフランス総督夫人に自分の使命を打ち明けたのでした。 無常にも別れの時は訪れ、最後の夜、晩餐会の席で夫人は彼に大きな花束を手渡したのですが、その中には美しい花々に埋もれた数本の苗木が・・・。
    二人のロマンスは悲恋に終りましたが、夫人の彼への愛は苗木となって彼の母国ブラジルに渡っていったのでした。

    COLUMN
  • 11ブルーマウンテン地区に
    植樹される

    1728年、当時のジャマイカ総督が、マルチニーク島から
    ジャマイカ(当時はイギリス領)へ苗木を運び、
    ブルーマウンテン地区の所有地に植樹。
    これが、今日のジャマイカのコーヒー栽培のはじまりとなりました。

  • 12コロンビアでコーヒー栽培が開始

    南米地域でのコーヒー栽培が広がっていき、
    18世紀後半にコロンビアで栽培が開始。

  • 13ハワイで栽培が開始

    1825年、ハワイでのコーヒー栽培が開始。
    ハワイにコーヒーが伝わったのは、
    童謡でも有名な「カメハメハ大王」と
    深い関わりがあるとされています。

    COLUMN

    カメハメハ大王と
    コナコーヒーの深い関係

    カメハメハ大王、女王とロンドンを訪れていた当時のオアフ総督・ボギ酋長が、旅の途中に亡くなった王と女王の亡骸とともにハワイへ戻る際、ブラジルを経由してコーヒーの木を持ち帰りました。しかし、コーヒー産業は成功に至りませんでした。次のページへ続く→3年後、サミュエル牧師が、オアフ島のボギ農園の苗木をハワイ島に持ち帰り、観賞用に植えたものが根付き、現在のハワイコナコーヒーの基礎となりました。

    COLUMN

    COLUMN

    3年後、サミュエル牧師が、オアフ島のボギ農園の苗木をハワイ島に持ち帰り、観賞用に植えたものが根付き、現在のハワイコナコーヒーの基礎となりました。

    COLUMN
  • 14日本でもコーヒー栽培に
    チャレンジ

    明治時代、
    日本の小笠原で
    コーヒー栽培が実験的に開始されました。

    COLUMN

    日本におけるコーヒー栽培の挑戦

    コーヒー栽培に適した地域(赤道をはさんで南北25度の地域)をコーヒーベルトと呼びますが、残念ながら日本はこのベルト地帯には入っていません。しかし、実は明治時代に国産コーヒーを作ろうという試みが実行されていたのです。明治11年10月16日発行の新聞には、10名の農夫、頭取世話役1名、農具、それにコーヒーの苗木を積んで小笠原島へ向けて船を出す旨が記事になっています。次のページへ続く→

    COLUMN

    明治11年10月16日発行の新聞には、10名の農夫、頭取世話役1名、農具、それにコーヒーの苗木を積んで小笠原島へ向けて船を出す旨が記事になっています。
    現地に官舎を建ててまで取り組んだコーヒー移植は、さらに明治17年4月29日の新聞で、明治15年には12キロほどのコーヒーが収穫できたことが記載され、順調に生育していたことが伺えます。 次のページへ続く→

    COLUMN

    現地に官舎を建ててまで取り組んだコーヒー移植は、さらに明治17年4月29日の新聞で、明治15年には12キロほどのコーヒーが収穫できたことが記載され、順調に生育していたことが伺えます。しかし、その後、移植した6種類のうち4種類が枯れ、1種は育っても結実せず、1種は風害に弱いことなどが判明しました。また採算と言う点においてはサトウキビにかなわないこともわかり、当時の小笠原島へのコーヒー移植は失敗に終ってしまいました。
    しかし、現在ではコーヒー栽培に取り組んでいる農家も少しずつ増えてきて、少量ながらもコーヒーの収穫に成功しています。

    COLUMN
長い長い時間をかけて広がっていったんですね はじまりはエチオピア!

COLUMN

カネフォラ種の
発見について

ちなみに、「カネフォラ種」が人類と初めて出会ったのは1898年、アフリカのコンゴでした。ロンドンの先物市場という国際舞台に上がったのが1952年。人類と長く歴史を共にしてきたアラビカ種と比べれば、まだ100年あまりの歩みでしかありません。

カネフォラ種の発見についてカネフォラ種の発見について
カネフォラ種は「ロブスタ」が有名だねカネフォラ種は「ロブスタ」が有名だね